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日本キリスト教団呉平安教会は正統なプロテスタント系のキリスト教団です。


  天地の創り主全能の父なる神よ。疫病の脅威が世界を震撼させ、不安が人々の心を覆っています。大切な方を失い悲しみの中にある人々に慰めを、死の不安を抱き病で苦しむ人々、 困窮するすべての人々に守りを、政治を司る人々に正しい判断を、救命・医療のため労する人々にお支えをお与えください。
 わたしたちが互いに愛し合い助け合うことができますように。 この時、わたしたちを助け、倒れないように守っていてください。           アーメン

教会行事情報

 礼拝・集会関連

               
  • 新型コロナウイルス感染症に関連して礼拝への出席を自粛されている方々へ、自宅でも、どこであっても共に主を礼拝できるように礼拝配信を行っております。 主日の日曜10:30~のライブ配信と、あとでも見れる録画配信があります。         
    このページ上部に置いてあります[礼拝配信]、また下のYoutubeボタンから当教会のYoutubeページへ繋がります。是非ご覧くださり共に礼拝を献げましょう。
  •   主日礼拝:毎週日曜10:30~ ライブ配信中
     

次週主日礼拝式順

 2020年7月26日(日)10:30~ 

招きの言葉
詩編 第95章1~2節              
賛美        
24「たたえよ、主の民」       
愛の教え        
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信仰告白
使徒信条        
祈り        
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聖書朗読
マルコによる福音書 第15章21~32節         
賛美        
298「ああ主は誰がため」                      
説教       
「自 分 を 救 わ な い 救 い 主」(マルコ61)|小林 克哉 牧師
祈り        
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子ども祝福の祈り        
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聖餐礼典
賛美
297「栄えの主イエスの」       
献金        
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祈り
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主の祈り
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賛美
90ー4「主よ、来たり、祝したまえ」            
祝福        
40-5「アーメン」
後奏        
      
  • 集 会⇒ 礼拝前:なし
         礼拝後: ☆主日第二礼拝                     
  • ★夕礼拝:18:00~

先週までの礼拝記録 

       
7/26        
聖書:マルコによる福音書 第15章16~25節
説教:「十字架につけられた神の子」
7/19        
聖書:マルコによる福音書第15章1~15節
説教:「人間の判決を受ける主の沈黙」
7/12        
聖書:マルコによる福音書 第14章53~72節
説教:「主の言葉を思い出せるから」
7/5        
聖書:マルコによる福音書 第14章53-65節
説教:「人間を救う神の証言」
6/7
マルコによる福音書 第14章12~26節   
説教:「神の国の恵みを取りなさい」
5/31
使徒言行録 第2章1~4節   
説教:「語り出せ、主の教会よ」
     

メッセージ

7/26

主日の御言葉をお送りします。家庭における礼拝・祈りの助けとしてください。新し一週の歩みに主の恵みと平安がありますように。

主日の御言葉
説教題「「十字架につけられた神の子

「それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。」(24節)

 「あなたもそこにいたのか」(『讃美歌21』306番)という讃美歌があります。北アメリカ大陸に奴隷として連れて行かれた人々によって生まれた讃美歌です。悪の歴史です。あってはならないことでしたが、無理矢理担がされた十字架を背負い生きねばならなかったのです。イエス・キリストと出会った人々が歌いました。十字架を、十字架の主を見上げ、自らの罪を思い心振るわし、主の愛を思い心振るわせ歌ったのでした。  今日の聖書はイエスさまが遂に十字架に付けられたことが記されています。ゲツセマネの園での逮捕、大祭司邸への連行、真夜中の取り調べ、不当な裁判、十字架刑の判決。そして十字架刑・死刑が執行されるのです。大祭司邸の中でもうそうでしたが、人々の目が届かない総督官邸の中、密室での出来事が記されています。ローマの兵士たちは、イエスさまに紫の服を着せ、茨の冠をかぶせ、侮辱し、葦の棒で叩き、唾は吐きかけるのです。直前には鞭で打ったとあります。密室で人は凶悪化するのでしょうか。  人はなぜ他の人をけなし、なぜ暴力を振るうのでしょう。誰かに「ばか」と言われたら、「ばか」言いたくなる。対等な関係なら言い合いのケンカです。しかしそうでなければ弱い者をはけ口にする。された者は更に弱い者へと悪の連鎖が始まります。虐待の痛ましいニュースは後を絶ちません。加害者となる親も子どもの時に虐待を受けていたケースが多いと言います。虐待される側だけでない。虐待する方も悪の連鎖を断ち切りたいと願っています。こんな話しを聞いたことがあります。誰かにぶつけずにはいられない子どもがいました。物に当たっても心が収まらない。ある人がその子に言います。わたしを叩いてごらん。本当に叩いた。そして涙が出て来て止めた。自分を受け止めてくれる人がいる。悪のままの自分を受け止めてくれる人がいる。サンドバックでも、自分より弱い者を見つけることでもない。本当に受け止めてくれる人と出会う。  イエスさまは人類の悪を受け止められるのです。大祭司たちの妬み、弟子たちや総督ピラトの保身、自己満足のために他人を傷つける群衆の無責任さ、侮辱、暴力・・・・。イエスさまはわたしたちの罪を背負うのみならず、わたしたち人間の悪を受け止められる。「イエスに紫の服を着せ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。」(18-19節)イエスさまは悪に悪をもって返さない。イエスさまにおいて悪の連鎖が止まるのです。  この兵士たちの侮辱は、王の即位式を模したものでした。皇帝(カエサル)の即位において人々は「万歳、カエサル、勝利者、帝国の王」と叫んだと言います。高貴な王の衣を身にまとい、王の権威のしるしである王笏を持ち、最後に王としての裁きの座に着くのでした。皇帝が宣言すれば無罪は最終決定し、死刑だと言えば覆すことはできないのです。ピラトは総督の裁きの座からイエスさまに十字架の死刑判決をくだしたのでした。  イエスさまは「ユダヤ人の王、万歳」と言われ、紫の衣を着せられ、葦の棒を持たされ(それで頭をたたかれ)、最後に十字架という王座に着かれるのです。マルコ福音書はこれを読む者に、この侮辱され、暴力を振るわれ、弱々しく、ぼろぼろになっている苦難の人を、真の王=メシア、いやそれどころか神の子として信じるのかと問うのです。いや、このお方こそが真の王=メシア、神の子であると宣言するのです。―もう少し読み進んでくと、十字架で息を引き取られたイエスさまに対するローマの百人隊長の告白が記されています。「本当に、この人は神の子だった」(16章39節)。  遂にイエスさまは、ゴルゴダの丘で十字架につけられます。「没薬と混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」(23節)麻酔の効果があったと説明する人もあります。イエスさまは痛みをごまかされない。本来わたしたちが受けるべき罪の裁きを、悪をすべて受け止め切られるのです。  「その服を分け合った」(24節)。詩編第22篇19節の実現です。イエスさまは裸にされます。人の思いを超え神の救いのご計画が実現しているのです。イエスさまは神に創られた時のアダムと同じ姿になられます。すべての人間を代表するお方として十字架についておられるのです。ある人は、イエスさまは裸であったが、その流される血潮により赤い衣を身にまとっておられたと言います。赤い衣を身にまといイエスさまが着かれるのは十字架という王座です。  今日の聖書箇所にキレネ人シモンの名前が出て来ます。死なねばならなくなって従うと言いながら、結局主を否み従うことができなかったシモン(ペトロ)に対し、無理矢理、嫌々ながら十字架を背負ってイエスさまに従うことになったシモンが出て来るのです。自分の十字架を背負ってイエスさまに従う者の象徴です。誰もが自分の十字架を背負って生きねばなりません。自分で望むのではありません。それは無理矢理担がされた十字架ではないでしょうか。先週、教会員の姉妹が召されました。二十年以上共に生きてきました。わたしがお会いした時にはもう退職され、熱心に教会に仕えておられました。しかし段々目が不自由になっていかれました。無理矢理担がされる十字架でした。それ以上にまたこの姉妹はイエスさまが十字架で背負ってくださった自分の罪を知っていました。重荷、罪、悪・・・・。自分の十字架背負って、イエスさまに従い続ける生涯でした。  シモンは十字架を担ぎ歩きましたが、十字架についたのはシモンではなくイエスさまでした。わたしたちは自分の十字架を背負い、イエスさまに従ってこの生涯を歩んで行くのです。そして十字架という裁きの座=王座に着いておられるイエスさまの前に進み出るのです。わたしたちのために真の王=メシア、神の子として十字架で死んでくださったお方が、十字架という王座=裁きの座から告げられるのは、「あなたの罪は赦された」という宣言です。わたしたちはイエスさまが十字架で背負ってくださった自らの罪に心振るわせ、わたしたちの罪を赦し神の子として受け入れてくださる愛に心振るわせずにはいられないのです。だからわたしたちは、わたしたちの罪を背負い、その悪を受け止めてくださるイエスさまにただ従って行くだけなのです。
【祈り】  主よ、わたしたちの罪も悪もすべてを引き受けてくださったことを感謝いたします。それぞれに背負う自分の十字架がありますが、あなたが先頭におられます。主に従いゆく者としてください。アーメン




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