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日本キリスト教団呉平安教会は正統なプロテスタント系のキリスト教団です。


  主はともに
愛する兄弟姉妹、求道の友の皆さんに主の恵みと平安がありますように!
「わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰を見て喜んでいます。」(コロサイ2:5) 直接顔を合わせることのできないときも、主は1人1人と共におられ、主にあってわたしたちを結びつけてくださいます。試練の時、主を信頼し祈り合い歩み続けましょう。

教会行事情報

 感染症対策

               
  • 新型コロナウイルス感染症に関連して礼拝への出席を自粛されている方々へ、自宅でも、どこであっても共に主を礼拝できるように礼拝配信を行っております。 主日の日曜10:30~のライブ配信と、あとでも見れる録画配信があります。         
    このページ上部に置いてあります[礼拝配信]、また下のYoutubeボタンから当教会のYoutubeページへ繋がります。是非ご覧くださり共に礼拝を献げましょう。
  •   主日礼拝:毎週日曜10:30~ ライブ配信中
     

次週主日礼拝式順

 2020年10月25日(日)10:30~ 

招きの言葉
詩 編 第96篇1~2節       
賛美        
29 「天のみ民も」       
十戒        
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信仰告白
日本基督教団信仰告白        
祈り        
.
聖書朗読
ヤコブの手紙 第3章13~18節(424頁)         
賛美        
459「飼い主わが主よ」
証し        
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説教       
「義の実は平和のうちに蒔かれ」(ヤコブ⑦)|代読:中野 靖子
祈り        
.
賛美
458「信仰こそ旅路を」     
献金        
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祈り
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主の祈り
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賛美
90ー4「主よ、来たり、祝したまえ」            
祝福        
40-5「アーメン」
後奏        
      
  • 集 会⇒ 礼拝前:なし
         礼拝後:☆10分間親子礼拝 ☆主日第二礼拝                     
  • ★夕礼拝:18:00~

先週までの礼拝記録 

       
10/18
ヤコブの手紙 第4章1~12節(425頁)   
説教:「 神 は 近 づ い て く だ さ る 」
10/11        
聖書:ヤコブの手紙 第3章1~18節
説教:「この口が神を賛美する奇跡」
9/27        
聖書:ヤコブの手紙 第2章1~13節(422頁)
説教:「憐 れ み は 裁 き に 打 ち 勝 つ」
9/20        
聖書:ヤコブの手紙 第1章19~27節(422頁)
説教:「 御 言 葉 を 行 う 人 」
9/6        
聖書:マルコによる福音書 第16章14~20節
説教:「福音は東から西まで広められ」
8/30
マルコによる福音書 第16章9~18節(97頁)      
説教:「復 活 の 主 を 信 じ な さ い」
     

メッセージ

9/13

主日の御言葉
説教題「「神は近づいてくださる」

【聖書】  神に近づきなさい。そうすれば神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。(8節) 【説教】 ヤコブの手紙は「神に近づきなさい」(8節)と呼びかけます。この手紙が呼びかけているのは「神に背いた者たち」「世の友」「神の敵」(4節)に対してです。そのような者たちに、神に近づいてもよいと言うのです。神に近づくことができると言うのです。  わたしたちは今ヤコブの手紙の御言葉を聞いています。まず第1章で「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」(12節)と語られました。ヤコブは試練の中でもその人を救う真の信仰が行いの伴う信仰であることをはっきりさせようとします。そして心に植え付けられた御言葉を受け入れ、「御言葉を行う人になりなさい」(22節)と語りました。真の信仰は祈ること、忍耐すること、礼拝に来た富める者と貧しい者を差別しないことなどの行いを生むというのです。そして前回の箇所で、わたしたちの舌・口・言葉・知恵について警告的に語りました。舌を制御できなければ人生を焼き尽くすことになるのです。しかし御言葉が生み出すのは平和であると言います。「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」(第3章18節)今日の箇所は平和に対し、戦いや争いがどこから生まれるのかについて語り出します。  「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(1-3節)  ヤコブの教会の中で実際に争いが起こっていたのかもしれません。ヤコブが伝える福音とは違う別のことを教える教師が入り込み、主導権争いが起こっていたのでしょうか。富める者と貧しい者のことが言及されていましたが、教会員同士の裁判沙汰(第2章6節)があったのでしょうか。お金の貸し借りで富める者が貧しい者を訴え、貧しい者が死に至るのでないか心配な状況が生まれていたのでしょうか。想像しかできませんが、ヤコブは争いの原因が「欲望」「自分の楽しみ」(3節)であることを指摘します。そして「間違った動機」だと言うのです。  人は主導権争いや裁判での勝利により自分を高めようとしているのかもしれません。神によるのでなく、自分で自分を義(正しい・よし)とし、人から義と認められようとしていると言ってもよいでしょう。そのために「人を殺す」(2節)ことさえ起こるのです。創世記第4章に記されているカインとアベルの物語を思い起こします。アダムとエバの長男カインと次男アベル。ある日、カインは土の実りを主に献げます。アベルは羊の群れから肥えた初子を献げます。主なる神はアベルの献げ物に目を留め、カインのそれには目を留めなかった。カインは悔い改めまた献げればよかったのです。しかし自分を高め、自分を義とするため、アベルがいなくなればよいと考えたのです。「欲望」「自分の楽しみ」「間違った動機」(3節)。そして弟を殺したのです。  ヤコブは言います。「神に背いた者たち、世の友(神に逆らうものとしての世という意味で)となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」(4節)ヤコブは「神に背いた者たち」(4節)と呼びかけます。これがわたしたちの姿だと言うのです。「世の友」「神の敵」とも言われています。「神の友」(第2章23節)とされたはずの者が神から遠ざかっている。神以外のものに心奪われてしまっている。それがわたしたちの姿でないかと言うのです。ヤコブは言います。「神に近づきなさい。そうすれば神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。」(8節)神に背き神から遠ざかっている者よ、神に近づくことができる(ゆるされている)。神に近づいてよい。  この手紙は律法を守ることが強調されており、ユダヤ主義的色彩が強いと説明する人があります。ただ律法と言っても、隣人愛についての言及に見られるように十戒や愛の教えに代表される神の民の交わりのあり方を教える律法です。律法のもう一つ重要な面である祭儀律法については出てきません。もう守る必要はないからです。  ユダヤ人は罪清められるため動物の命を犠牲として捧げました。動物の命が身代わりとなり罪清められ、はじめてユダヤの民は神に近づくことができると考えたのです。しかしそれは際限なくくり返し捧げなければならないものでした。しかしイエス・キリストが十字架でご自身の命を犠牲として捧げてくださったことより、わたしたちの罪は清められました。キリストの十字架はただ一度、完全な犠牲であり、それに付け加えるものは何もありません。神はイエス・キリストによってわたしたちに近づいて来てくださいました。十字架により罪清められわたしたちは神に近づくことができるようになったのです。  わたしたちは十字架の福音を信じ、罪の赦しを与えられ、神に近づくことができるようになった者たちです。しかし、わたしたちは信仰生活を送りながら、気づいてか気づかずか再び神から遠ざかってしまいます。自分で自分を高めようとして「欲望」「自分の楽しみ」(3節)「笑い」「喜び」(9節)に心奪われ、心定まらない者(神とそれ以外の二心)となり気づくと神から遠ざかってしまっていないでしょうか。ヤコブは言います「悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。」(9-10節)  どうして神から遠ざかってしまう者に、神は近づくことを求め、高めようとされるのでしょうか。それは神が妬むほどにわたしたちを愛しておられるからです。神は心定まらない二心のお方ではありません。神はわたしたちに対して「あなたが一番だ」と言ってくださるお方です。それはイエス・キリストの十字架の犠牲によって示されました。わたしたちを「妬むほどに深く愛しておられ」(5節)る神は、わたしたちにも「神が一番」であることを求めておられます。愛するがゆえ互いに一番であることを求められるのです。だからわたしたちが神の前にへりくだり謙遜であることを求め、神が一番であることを妨げるものを取り除こうとされるのです。ヤコブはわたしたちを神から遠ざけようとする悪魔の働きに負けるなと励ましています(7節)。  イエス・キリストによって神は近づいてきてくださいました。だから、「神に背いた者たち」「世の友」「神の敵」(4節)よ、「神に近づきなさい。そうすれば神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。」(8節)
【祈り】 主よ、あなたを一番とすることを妨げるものを取り除いてください。そしてあなたを愛し、あなたの御言葉に従って歩む者としてください。アーメン




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