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日本キリスト教団呉平安教会は正統なプロテスタント系のキリスト教団です。


  ■主はともに
愛する兄弟姉妹、求道の友の皆さんに主の恵みと平安がありますように!
「わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰を見て喜んでいます。」(コロサイ2:5) 直接顔を合わせることのできないときも、主は1人1人と共におられ、主にあってわたしたちを結びつけてくださいます。試練の時、主を信頼し祈り合い歩み続けましょう。

教会行事情報

 感染症対策

               
  • 新型コロナウイルス感染症対策として、教会内では換気を徹底しております。そのため冬季においては寒いため各自暖かい装いにてご出席ください。なお、教会内ではマスクをし消毒を徹底して隣人愛をもって過ごしましょう。
  • 新型コロナウイルス感染症に関連して礼拝への出席を自粛されている方々へ、自宅でも、どこであっても共に主を礼拝できるように礼拝配信を行っております。 主日の日曜10:30~のライブ配信と、あとでも見れる録画配信があります。         
    このページ上部に置いてあります[礼拝配信]、また下のYoutubeボタンから当教会のYoutubeページへ繋がります。是非ご覧くださり共に礼拝を献げましょう。
  •   主日礼拝:毎週日曜10:30~ ライブ配信中
     

今度の主日礼拝式順

 2021年2月21日(日)10:30~ 

招きの言葉
詩 編 第100篇1~2節       
賛美        
28 「み栄あれや」
十 戒        
.             
信仰告白       
日本基督教団信仰告白     
祈り      
.
聖書朗読
エフェソの信徒への手紙 第3章14~21節 (355頁)        
賛美       
280「馬槽のなかに」       
説教       
「人知を超えるキリストの愛」(ヤコブ⑦)|小林 克哉 牧師       
祈り       
.
賛美
484「主われを愛す」  
献金        
.
祈り
.
主の祈り
.
賛美
90「主よ、来たり、祝したまえ」
祝福        
40-5「アーメン」
後奏        
      
  • 集 会⇒ 礼拝前:礼 拝 準 備 祈 祷 会
         礼拝後:☆10分間親子礼拝 ☆主日第二礼拝 ☆麦 の 会 例 会  ☆定 例 教 会 役 員 会                
  • ★夕礼拝:18:00~

その次の礼拝予告 

       
2/7
説教「人知を超えるキリストの愛を知る」 (エフェソ⑦)         
エフェソの信徒への手紙3:14-21       
讃美歌:28,280,484,90-4
     

先週までの礼拝記録 

       
1/24
エフェソの信徒への手紙 第1章15~23節 (352頁)     
説教:「 心 の 目 を 開 い て く だ さ い 」
1/10
エフェソの信徒への手紙 第1章1~7節   
説教:「神 は 愛 に よ り 選 ば れ る」
12/27        
聖書:ルカによる福音書 第2章8~20節
説教:「天には栄光、地には平和あれ」
11/29        
聖書:ルカによる福音書 第1章26~38節(100頁)
説教:「 主 に 恵 ま れ た 者 よ 、 喜 べ 」
11/8        
聖書:ヤコブの手紙 第1章12~18節
説教:「約 束 さ れ た 命 の 冠」
     

メッセージ

2/7

主日の御言葉
説教題「 「キリストにおいて一つ」

【聖書】 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。(18節)
【説教】 人はどのようにしたら、天地万物の創り主、唯一真の神さまの御許に近づくことができるのでしょうか。昔、イスラエルにはエルサレム神殿が建っていました。イスラエルの民は神に近づく思いで神殿に参りました。異邦人の庭と呼ばれるところまでは誰でも近づくことができましたが、欄干によりその先とは隔てられていました。看板には「他民族の者は何人も神殿を囲む柵と囲いの中に入ってはならない」と書かれていました。隔てを越えて神殿の中に入ることができたのはイスラエルの民・ユダヤ人だけでした。  ある日、イエスさまはエルサレム神殿に行かれました。異邦人の庭で商売をしている人々を見つけ、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2章16節)と言われ、境内から追い出されたのです。そして「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(同19節)と言われたのです。聖書は「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(同21節)と説明しています。イエスさまは十字架で死なれ、三日目にご復活されたのです。今、キリストの体である教会が、主における聖なる神殿とされ、人は神に近づくことができるようになったのです。「それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」(18節)  エフェソの信徒への手紙を読む進んでいます。エフェソの教会は、聖書の民であるユダヤ人より、今はイエス・キリストを信じていますが元々は聖書の神を知らずに生きていた異邦人が多かったようです。神を知らずに生きていたのに、憐れみ豊かな神がこの上なく愛してくださり、恵みにより、信仰によって救ってくださった。キリストと共に復活し、天の王座に着く者とされた。今は神に造られた作品とされていたのです。パウロは言います。「だから、心に留めておきなさい。」(11節)記憶しておきなさい、思い起こしなさいとも訳せます。忘れるなと言うのです。更に「あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世で希望を持たず、神を知らずに生きていました。」(11-12節)  皆さんは初めて教会に来た頃を覚えているでしょうか。わたしは住んでいた家から歩いて5分程のところに教会がありました。よく見ている建物であり町の風景の一つでした。妻も同じ教会に通っていましたが、教会と出会った衝撃をこのように言っていました。「町の片隅のこんなところに、まさか天に通じる門があったなんて!」キリスト者として過ごし自分にとって信仰が当たり前のことになってくると、最初の驚きや喜びは忘れやすいのかもしれません。「だから、心に留めておきなさい。」(11節)エフェソの教会の人々もそうだったのではないでしょうか。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今は、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」(13節)  救いとは遠い者が近い者になることです。それは平和とも言えます。パウロは続けてこう言います。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(14節)「わたしたち」と言われます。ユダヤ人も異邦人もです。想像しにくいのですが当時ユダヤ人と異邦人には隔たりがありました。互いに軽蔑し合っていたのです。ユダヤ人は神に選ばれた民との自負があり、そのしるしとしての割礼を誇りとしていました。律法の安息日や食事の規則を守ることで他の民族との違いを意識し、汚れてはならないと考え戒律を守り異邦人と食事をすることもなかったのです。異邦人もユダヤ人を奇妙な習慣に縛られた変わり者だと軽蔑していたのです。  ユダヤ人と異邦人の間には隔ての壁があったのです。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(14-16節)十字架で流された血、裂かれたに肉、あの十字架により平和を実現してくださったのです。  平和とは二つあります。一つは人と人との平和です。もう一つは神と人との平和であり、こちらがより重要です。聖書の平和とはただ争いがない状態を言うのではありません。シャローム(平和)は満ち満ちていることです。ただ争いがないだけでない。神に愛され神を愛する、愛に満ちているのが平和です。人が互いに愛し合っているのが平和です。  最近、これまでの歩みを振り返ることが多くなりました。今の呉平安教会を思うと平和だなぁと思います。昔は争いもあったのです。教会にとって重大なことを決めねばならない時に意見が割れる。やむを得ない場合もあるかもしれませんが、誰が味方で誰が敵の様相になる。本当の問題は何だろうと思いました。教会の主(あるじ)がキリストでなく人間になっていないだろうか。誰かの意見にみなが従うことによっては、教会に平和は来ません。ただイエス・キリストが教会の主(あるじ)であることがはっきりしてくる以外にないと、強く思わされてのでした。  「キリストはわたしたちの平和であります。」キリストを見たら平和が分かると言うのです。キリストの内にユダヤ人も異邦人も入れられているのです。聖霊により導かれ、一つ洗礼にあずかり一つとされているのです。そこに平和が実現している。エフェソの教会ではユダヤ人も異邦人も一つ同じ聖餐の食卓を囲んでいたのです。隔たりはなくなっていたのです。キリストを見たら平和が分かるのと言うのです。御子キリストは、御父に最も近いお方であり、御父と一つなるお方です。このキリストに結ばれることにより、わたしたちも御父との平和を与えられ、御父に近づくことができるのです。  「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が、一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」(17-18節)  キリストにおいて一つとされ、御父に近づくことができ、神の子たちの交わりに生きる者とされるのです。それは「聖なる民に属する者、神の家族」(19節)、「聖なる神殿」(21節)「神の住まい」(22節)とされることなのです。小さい頃、友達の家に行き時間を忘れて遊び気がつくと夕食時になっていることがありました。「もうご飯だよ」という声が聞こえると、帰らなくてはならなりません。図々しく食卓に勝手に座ることはできません。食事はその家の家族のものであり、越えてはならない一線があることを、子どもながらに理解していました。教会に通うようになり、今から思うと迷惑だったかと思いますが、牧師館に入り浸っていました。「克哉くんも食べる会。座りなさい。」何だか家族にしてもらったような嬉しさがありました。  「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒と預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(19-22節)わたしたちは神の家族、聖なる神殿、神の住まいとされ、今ここに建てられているのです。キリストにおいて一つとされることにより、ユダヤ人でも異邦人でも日本人でも誰でもが神に近づくことが許される聖なる神殿と、わたしたちはされているのです。「それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」(18節) 
【祈り】 主よ、神の家族の交わりを強め、人々にキリストの救いを証しさせてください。わたしたちを通して神に出会い、神に近づく方々が起こされますように。アーメン




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