本文へスキップ

日本キリスト教団呉平安教会は正統なプロテスタント系のキリスト教団です。


  ■主はともに
愛する兄弟姉妹、求道の友の皆さんに主の恵みと平安がありますように!
「わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰を見て喜んでいます。」(コロサイ2:5) 直接顔を合わせることのできないときも、主は1人1人と共におられ、主にあってわたしたちを結びつけてくださいます。試練の時、主を信頼し祈り合い歩み続けましょう。

教会行事情報

 感染症対策

               
  • 新型コロナウイルス感染症対策として、教会内では換気を徹底しております。そのため冬季においては寒いため各自暖かい装いにてご出席ください。なお、教会内ではマスクをし消毒を徹底して隣人愛をもって過ごしましょう。
  • 新型コロナウイルス感染症に関連して礼拝への出席を自粛されている方々へ、自宅でも、どこであっても共に主を礼拝できるように礼拝配信を行っております。 主日の日曜10:30~のライブ配信と、あとでも見れる録画配信があります。         
    このページ上部に置いてあります[礼拝配信]、また下のYoutubeボタンから当教会のYoutubeページへ繋がります。是非ご覧くださり共に礼拝を献げましょう。
  •   主日礼拝:毎週日曜10:30~ ライブ配信中
     

今度の主日礼拝式順

 2021年1月17日(日)10:30~ 

招きの言葉
詩 編 第100篇1~2節       
賛美        
28 「み栄あれや」       
祈り       
.     
十 戒       
.
信仰告白
日本基督教団信仰告白        
祈り        
.
聖書朗読
エフェソの信徒への手紙 第1章3~14節(352頁)         
賛美        
403「聞けよ、愛と真理の」       
説教       
「神 の 秘 め ら れ た 計 画」(エフェソ②)|小林 克哉 牧師
祈り        
.
賛美
575「球根の中には」   
献金        
.
祈り
.
主の祈り
.
賛美
90-4「主よ、来たり、祝したまえ」
祝福        
40-5「アーメン」
後奏        
      
  • 集 会⇒ 礼拝前:なし
         礼拝後:☆10分間親子礼拝 ☆ナ ル ド の 会 例 会  ☆主日第二礼拝                   
  • ★夕礼拝:18:00~

その次の礼拝予告 

       
1/24
説教「心の目を開いてください」(エフェソ③)         
エフェソの信徒への手紙1:15-23       
讃美歌:29,497,390,90-4
     

先週までの礼拝記録 

       
1/10
エフェソの信徒への手紙 第1章1~7節   
説教:「神 は 愛 に よ り 選 ば れ る」
12/27        
聖書:ルカによる福音書 第2章8~20節
説教:「天には栄光、地には平和あれ」
11/29        
聖書:ルカによる福音書 第1章26~38節(100頁)
説教:「 主 に 恵 ま れ た 者 よ 、 喜 べ 」
11/8        
聖書:ヤコブの手紙 第1章12~18節
説教:「約 束 さ れ た 命 の 冠」
10/25
ヤコブの手紙 第3章13~18節(424頁)      
説教:「義の実は平和のうちに蒔かれ」
     

メッセージ

1/10

主日の御言葉
説教題「「神は愛により選ばれる」

【聖書】 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(4節)
【説教】 今朝からエフェソの信徒への手紙を読み始めます。キリストの使徒パウロの名により書かれた手紙です。冒頭の挨拶で、神の恵み、そしてその恵みにより与えられる救いとしての平和が祈り求められます。平和とは第一に神さまとの間の平和であり、また一人一人に与えられる真の平安であり、そして人と人の間にキリストにより打ち立てられる平和です。パウロはこの手紙を受け取る人々のために「心の目を開いてくださるように」(18節)と神に祈ります。神がイエス・キリストにより、ただ恵みによって与えてくださった救い(平和・祝福・希望)がどれほど豊かなものであるかを悟ってほしいのです。わたしはこの群れに立てられた説教者・牧者として、この手紙を皆さんと読み進むことにより、神が与えてくださっている救いが、わたしたちが今思っているもの以上であることを一緒に受け止め喜びたいと願っています。  パウロの名により書かれた手紙は、新約聖書の中に13あります。宛先がはっきりしており、教会や個人が置かれている具体的な課題について書かれています。手紙により主要なテーマを考えることもできます。ローマの信徒への手紙は終始神の義について語られています。ガラテヤの信徒への手紙は信仰によってのみ義とされることが鮮明に語られています。テサロニケの信徒への手紙一は、キリストの再臨と御国の希望です。コロサイの信徒への手紙は、キリストがどのようなお方であるかを語っています。そしてこのエフェソの信徒への手紙は教会について語る手紙です。  わたしたちが教会について考える際、どうしても今目に見えている教会だけを考えてしまいがちです。目に見える団体としての教会と言ってもよいかもしれません。しかしこの手紙が語るのは、教会とは頭であるキリストのお体であるとういうことです。教会=わたしたちは天地創造の前から選ばれているものであり、終わりの日に頭であるキリストのもとに全ての時代の聖徒たちが一つにまとめられ、更にあらゆるものが一つにまとめられるのです。そこに救いがあり、それが救いの完成です。3節から14節の御言葉は、元の言葉で読むと一文章です。父なる神の愛と選び、御子キリストによる贖いの御業、聖霊による救いの保証と完成。父・子・聖霊なる三位一体の神とその救いの御業について語られています。この手紙は父・子・聖霊なる神が与えてくださっている救いがどんなに豊かなものかを語り、教会の本当の姿を教えるようとするのです。  この手紙の宛先はエフェソ教会ですが、古い写本にはエフェソという文字が抜けているものもあります。エフェソに限定されないキリストの教会のどこでも読んでほしいと書かれたのかもしれません。ですから、この手紙をまさにわたしたちの教会に宛てられた手紙として読み進んで行きたいと思います。(エフェソを呉に代えて読んでみます)「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、呉にいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。わたしたちの主イエス・キリスト父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(1-3節)  神はもうすでにわたしたちを天における聖霊による祝福で満たしてくださっているのです。わたしたちは天に神の子として入れられることになります。今既にわたしたちは御子イエス・キリストと結ばれ、聖霊によって「アッバ、父よ」と祈る者とされています。そこに天の霊的な祝福があるのです。わたしたちは目に目えるものに囚われてしまっています。この世を支配し覆っている諸力、時代精神などに左右されます。そのような人間がこれが救いだと思って求めることは、神が与えられる真の救いとずれてしまわないでしょうか。聖書に教えられずして、誰が救いとして神の子になることを願い求めるでしょうか。聖書に示されなければ救いが見えてこないのです。  神が与える救いは、わたしたちが神の子とされることなのです。「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。」(5-6節)「愛する御子」は「愛する者」という字で、わたしたちの聖書では意味を補って訳されています。父なる神が最も愛する者は御子イエス・キリストでしょう。人間の親子関係の愛でははかることのできない完全な愛で愛する「愛する者」です。神はわたしたちを神の子として選ばれたのです。神はわたしたちを神の子として愛し、「愛する者」としてくださっているのです。今既にこの天の霊的な祝福にあずかっているのです。  「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(4節)神はわたしたちを選んでくださいました。天地創造の前に選ばれたのです。それはわたしたちの側には選ばれる理由が何一つないということでもあります。  お世話になった牧師先生がおられます。母親が自分をお腹に宿したとき、医者に無理をして出産すれば母親自身が死ぬことになるかもしれないと告げられたそうです。医師の反対の中、母親は産むことにしました。母親は自分を選んでくれたと言われました。どんな子どもが生まれてくるか、どんな人間にになっていくのかも分かりません。しかし選び産んでくれた。医師の忠告は当たってしまいました。出産後しばらくし母親は亡くなられたのです。母のぬくもりは知らないが、母の愛を感じると、その牧師先生は母親を賞賛していました。その牧師先生の命は母の愛の奇跡だと言っても過言ではないでしょう。  神は天地創造の前にわたしたちを愛し、わたしたちを神の子として選んでくださいました。それは十字架の死を決意してくださったということです。選びとは十字架による選びなのです。「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」(7節)十字架による神の選び、その恵みは、わたしたちに神を賛美する思いを起こさせるてくれる神の奇跡です。十字架の選びにより神の子とされたわたしたちは神をほめたたえずにいられるでしょうか。「わたしたちの主イエス・キリスト父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(3節)  神の選びは、わたしたち=キリストの体である教会の選びです。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(4節)救いの完成の日、頭であるキリストと一つにまとめられる。その時、神がイエス・キリストにより、ただ恵みによって与えてくださった救いがどれほど豊かなものであるかをはっきりと知り、天においてわたしたちは神の愛する子として神をほめたたえることになるのです。
【祈り】 主よ、あなたが十字架によりわたしたちを選んでくださったことを感謝します。あなたの救いの豊かさをもっともっと知る者としてください。アーメン




日本基督教団呉平安教会

〒737-0811
広島県呉市西中央5-6-1

TEL 0823-23-4435
FAX 0823-69-5015
E-mail mail@kurehei.jp