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日本キリスト教団呉平安教会は正統なプロテスタント系のキリスト教団です。


  ■主はともに
愛する兄弟姉妹、求道の友の皆さんに主の恵みと平安がありますように!
「わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰を見て喜んでいます。」(コロサイ2:5) 直接顔を合わせることのできないときも、主は1人1人と共におられ、主にあってわたしたちを結びつけてくださいます。試練の時、主を信頼し祈り合い歩み続けましょう。

教会行事情報

 感染症対策

               
  • 新型コロナウイルス感染症対策として、教会内では換気を徹底しております。そのため冬季においては寒いため各自暖かい装いにてご出席ください。なお、教会内ではマスクをし消毒を徹底して隣人愛をもって過ごしましょう。
  • 新型コロナウイルス感染症に関連して礼拝への出席を自粛されている方々へ、自宅でも、どこであっても共に主を礼拝できるように礼拝配信を行っております。 主日の日曜10:30~のライブ配信と、あとでも見れる録画配信があります。         
    このページ上部に置いてあります[礼拝配信]、また下のYoutubeボタンから当教会のYoutubeページへ繋がります。是非ご覧くださり共に礼拝を献げましょう。
  •   主日礼拝:毎週日曜10:30~ ライブ配信中
     

今度の主日礼拝式順

 2021年4月11日(日)10:30~ 

招きの言葉
ヨハネによる福音書 第4章23~24節       
賛美        
27 「父・子・聖霊の」
十 戒      
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信仰告白       
日本基督教団信仰告白     
祈り      
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聖書朗読
エフェソの信徒への手紙 第5章6~20節 (357頁)        
賛美       
531「主イエスこそわが望み」       
説教       
「キリストがあなたを照らす」(エフェソ⑫)|小林 克哉 牧師       
洗 礼 礼 典       
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祈 り       
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賛 美
519「イザヤを招く神の声は」
献 金
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祈 り
.
主の祈り
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賛美
90「主よ、来たり、祝したまえ」
祝福        
40-5「アーメン」
後奏        
      
  • 集 会⇒ 礼拝前:礼 拝 準 備 祈 祷 会
         礼拝後:☆1 0 分 間 会 堂 掃 除 ☆1 0 分 間 親 子 礼 拝 ☆主日第二礼拝 ☆奉仕打合せ              
  • ★夕礼拝:18:00~

その次の礼拝予告 

       
4/18
説教「さあ、今日も歩いて行こう」         
ヨハネによる福音書21:15-19       
讃美歌:28,56,516,90-4
     

先週までの礼拝記録 

       
4/4        
聖書:ヨハネによる福音書 第20章11~23節
説教:「復 活 の 主 が 与 え る 平 和」
3/21        
エフェソの信徒への手紙 第4章25~第5章5節 (356頁)
説教:「愛 に よ っ て 歩 み な さ い」
2/21        
聖書:エフェソの信徒への手紙 第3章14~21節
説教:「人知を超えるキリストの愛」
1/24
エフェソの信徒への手紙 第1章15~23節 (352頁)     
説教:「 心 の 目 を 開 い て く だ さ い 」
1/10
エフェソの信徒への手紙 第1章1~7節   
説教:「神 は 愛 に よ り 選 ば れ る」
     

メッセージ

4/4

主日の御言葉
説教題「 「見よ、あなたの王が来る」

【聖書】 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(16節)
【説教】  イースターおめでとうございます。イエス・キリストはご復活なさったのです。死の力を打ち破り主はご復活され、今も生きておられます。最初のイースター、復活の主は「マリア」(16節)とその名を呼ばれました。「あなたがたに平和があるように」(19・21節)と言われました。今朝、姉妹たち二人が主に名を呼ばれ、「はい」と答えて洗礼を授けられました。洗礼によりキリストの内に入れられ、その平和の中に入れれたのです。もう罪の攻撃も、死の攻撃も、あなたを打ち負かすことはできません。ご復活の主イエス・キリストにより真の平和・平安が与えられたからです。すべての人に、この平安・平和の内にある喜びに生きてもらいたいのです。どうぞ、洗礼を受けてください。洗礼を受けている人は、この恵みを今一度主に感謝し、主の御名を賛美しましょう。ハレルヤ!  最初のイースターの朝、マグダラのマリアたちはイエスさまのご遺体が収められた墓に向かいました。急いで墓に葬られたイエスさまのご遺体をきれいに葬り直すためです。ところが、墓の入り口に石は取りのけてあり、墓の中は空になっていたのです。イエスさまのご遺体を蒔いていたはずの亜麻布が墓の中に置いてありました。他の弟子たちはみな家に戻ってしまいました。ただ一人マグダラのマリアだけが墓に残っていました。「マリアは墓の外に立って泣いていた。」(11節)マリアは泣いていました。どんな気持ちで泣いていたのでしょうか。  泣いている人に声を掛けたことがあるでしょうか。すぐに泣き止むこともあります。掛ける言葉が見つからないことがあります。どんな言葉もその悲しみと嘆きの涙を止めることができない。慰めの言葉を拒否するように泣き続けていることもあるでしょう。ただそばにいることしかできないことがあるのです。マリアはイエスさまによって救われ人生を変えてもらった人でした。七つの悪霊に取り憑かれていたと言われます。そのように表現される人生とはどんな悲惨なものだったでしょう。しかし、イエスさまは悪霊の力からマリアを解放してくだったのでした。それからはイエスさまに着いて行きました。しかしイエスさまが十字架で殺されたのです。しかも、イエスさまのご遺体が行方不明になっているのです。死の力の前にくずおれるマリアのことを、人間のどんな言葉が救うことができるのでしょうか。  墓の前で泣いているマリアに天からの介入が起こります。「泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、『婦人よ、なぜ泣いているのか』と言うと、マリアは言った。『わたしの主が取り去れました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。』」(1-13節)神は放っておかれないのです。  そして主イエス・キリストご自身が声を掛けられるのです。泣きじゃくるマリアの心を知り尽くすお方が呼びかけられるのです。「こう言いながら振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。『婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。』マリアは、園丁だと思って言った。『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこにおいたか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。』イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」(14-16節)  イエスさまはその名を呼ばれました。今朝、二人の姉妹の名がそれぞれ呼ばれ、洗礼が授けられました。わたしたちもまた、主に名を呼ばれ洗礼受けたのでしたし、まだの方もこれから名を呼ばれ洗礼を受ける日が来るのです。主が名を呼ばれたのは、イエスさまがご復活して目の前におられるの気づかないマリアでした。主が呼びかけてくださるのは、確かな信仰者だからではないのです。分かっていないし見えていないのです。そんなマリアが主に呼びかけられることにより「ラボニ」と答えることになったのです。  洗礼を受けるとき、わたしたちは確かな信仰者だとは言えないかもしれません。長年たって振り返ると、あの時は分かっていなかったし見えていなかったと思うものではないでしょうか。しかし、確かに声を掛けられ、わたしの名を呼んでいただいたのです。主が呼びかけてくださることにより、わたしたちは「はい」と答え、キリスト者として歩み出したのではないでしょうか。復活の主に名を呼ばれることにより、わたしたちはほんとうに〝わたし〟になっていくのです。  「イエスは言われた。『すがりつくのはよしなさい。』」(17節)直訳すれば「わたしに触ってはいけない」です。マリアはイエスさまを捕まえて離したくなかったでしょう。遺体ならマリアが自由に持って運ぶことができるでしょう。しかし触れてはならない。マリアが自由にできるものではないのです。イエス・キリストはご復活して今も生きておられるのです。マリアがイニシアチブを持つのではないのです。神がイニシアチブを取られるのです。イエスさまはマリアに命じられます。「『わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」と。』」(17節)イエスさまによりマリアは遣わされて行くのです。「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」(18節)  マリアの知らせを聞いた弟子たちは、恐れて部屋の中に閉じこもっていました。ご復活されたイエスさまがいつ来てもよいように戸を開けて待っていたのではないのです。「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(19節)イエスさまが声を掛けられた弟子たちは、マリアの言葉を信じられず、何も分かっていない者たちだったのです。しかし、イエスさまはその部屋に入ってきて、呼びかけてくださったのです。「そう言って、手をわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』」(20-21節)  「平和があるように」と主は言われます。ご復活の主が与えてくださる平和です。もう罪も死も力を失っています。罪も死も打ち負かされ主が勝利されたのです。主が父なる神との和解を与え、わたしたちに平和をもたらしてくださったのです。罪も死ももうあなたを攻めることはできません。ご復活の主イエス・キリストにより真の平和・平安が与えられたからです。イースターの朝、この平和の内に生かされる喜びを共に感謝したいと思うのです。そして、この平和の知らせ、まだ知らぬ人たちに伝えるため遣わされていくのです。「そう言ってから、彼らに息吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』(22-23節)  今朝、二人の姉妹が洗礼を授けられ罪赦され、キリストのもの、神の子とされました。ハレルヤ! ご復活の主がわたしたちの名を呼んでいてくださいます。そして平安の内に行きなさいと、遣わしてくださるのです。
【祈り】 主のご復活を讃えます。死に勝利してくださったあなたの力に生かされ、感謝の内を歩む者たちとしてください。アーメン




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