(2017年2月号 使徒言行録第21章1〜16節 「祈りの言葉が見つからなくても」)
今朝は広島女学院大学聖歌隊により「祈れないあなたのため」が奉唱されました。東日本大震災の後、書かれた歌だそうです(以下歌詞)。
1.祈れないあなたのため/祈りたいわたしがいる/キリストに結ばれて/今ここに共にいる
2.戻せない景色のため/戻らない命のため/キリストは手を合わせ/今ここに共にいる
3.立ち尽くすわたしたちは/暗闇の続く日々にも/キリストのともしびに/ゆく道は示される/ キリストは祈られる/ふるさとを忘れない
わたしたちは時に、祈れない、祈りの言葉が見つからないことを経験します。しかし、そこで一つのことに気づくのだと歌うのです。共にいますキリストが祈っていてくださる。
「わたしたち」もそうでした。使徒パウロと同行のルカたちです。パウロはエルサレム行きを決心しています。しかしエルサレムに行けば危険が待っている。だから止めて欲しい。相手を思うがゆえ、パウロと同行のルカたちはぶつかったのです。エルサレムに行くのが正しいのか、止めるのが正しいのか。時にどちらが正しいのか、何が正しいのか判断がつかないことがあるものです。何を願ったらいいのか、祈りの言葉が見つからないのです。「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」(14節)
「わたしたち」の中心には聖霊によりご臨在されるイエス・キリストがおられました。同行の者たちは「主の御心が行われますように」と祈りました。わたしたちのために十字架で死なれ、三日目にご復活されたイエスさまに、すべてをおゆだねしたのです。イエスさまがわたしたちの先頭で祈っていてくださるのです。イエスさまが共にいて祈っていてくださるなら、イエスさまが願われる通りになればそれがよいのです。たとえ祈りの言葉が見つからなくても、心から「主の御心が行われますように」と祈れることはどんなに幸いなことでしょうか。 アーメン
(2017年1月号 使徒言行録第20章13-24節 「自分の決められた道のりを走り通し」)
パウロはエルサレムへ向かう前、もう一度エフェソの長老たちにどうしても会いたいと思ったようです。出航前の僅かな時間を利用して会おうと考え、エフェソ教会の長老たちをミレトスへとわざわざ呼び寄せたのでした。パウロには地上でこの人々と会うことができるのは、これが最後になるとの思いがありました。
最後にパウロが語ったのは、何か新しいことでも、隠されていた真実でもなく、これまで語ってきたことを繰り返して語ることでした。神への悔い改め、主イエスへの信仰、すなわち神の恵みの福音です。これが一番大切なことであり、人を救い、パウロが命をかけて宣べ伝えてきたものだからです。
パウロは言います。「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」(24節)。パウロはこの福音を伝えることができるなら自分の命すら惜しいとは思わないと言ったのでした。
星野富弘さんの詩に「いのちより大切なもの」というものがあります。
いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのが嬉しかった
自分のいのちより大切なものに出会えるとは何という驚きであり、何という幸いでしょうか。福音を知るとは、いのちより大切なものを知るということなのです。
主イエス・キリストは、ご自分のいのちよりわたしたちの救いが大切だとお考になられ十字架へと向かわれました。神にとって「いのちより大切なもの」とはわたしたちの罪が赦され、神の子として永遠の神の国に入れられることなのです。
これが神の恵みの福音です。この福音を宣べ伝えるために、キリストの教会は召されているのです。パウロだけでなく、わたしたちも周りの人に、この町、この国、この世界の人々に、この恵みの福音をお伝えしたいと願います。 アーメン
(2016年12月号 使徒言行録第19章21〜40節 「混乱の中でも真実を見つめる」)
クリスマスへと備える季節です。最初にクリスマスの備えをなしたのはナザレの村娘マリアでした。ある日、突然天使ガブリエルが現れて言ったのです。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」(ルカ1:30-31)マリアは突然救い主、神の子の母となると言われたのでした。
人間の理解を超えた事。不安や混乱を覚えたでしょう。しかしマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1:38)と答えたのです。神の恵みと計画の中に置かれていることを知った時、人は混乱の中でも立つことができるのです。
使徒パウロもそうでした。パウロはアジア州首都エフェソに2年以上留まり伝道をしました。そしてエフェソの町に住む人たちにその存在を知られるようなっていたようです。「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムへ行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った。」(21節)
エフェソの町にはアルテミス神殿があり、その関係の仕事も多く存在していました。神殿の模型を造っていた銀細工職人デメトリオは同業者に言いました。「あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、多くの人をたぶらかしている。これでは、仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるし、女神の御威光さえ失われてしまうだろう」。町中を巻き込む騒動が起こったのでした。人々は混乱に陥りました。
このままでは今まで通りの利益が見込めない。アルテミス様が神でないとしたらどうしたらよいのか。経済的なこと、仕事や人間関係、健康、これまでの生活が維持できないとの不安が人々を混乱に陥らせたのでしょうか。
この騒動によりエフェソ教会の人々は動揺したでしょう。しかし騒動の後、パウロは淡々と自分の歩みを進めていきました。混乱の渦に巻き込まれる時、人は大切なことが見えなくなってしまいがちです。大切なこととは神のご計画です。どんなことが起こったとしても、神はこの歴史を導いておられるのです。たとえ混乱の中でも神のご計画を信頼し与えられている歩みを続けていきたいのです。パウロはローマに向かいます。 アーメン
(2016年11月号 コリントの信徒への手紙一15章1〜11節 「受け継がれる信仰」)
教会の暦で11月第一主日は聖徒の日です。先に地上の旅路を終え眠りに就いた信仰の先達を覚え、先達から受け継がれた信仰の恵みを覚える時です。
使徒パウロは「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言います。誰でも今日のわたし≠ェ突然あるのではなく人生により形づくられてきたものであることを知っています。自分の努力によってだけでなく、人生に影響を与えてくれた人、あの人のお陰だと言える誰かによって今日のわたし≠ェあるものです。
パウロにとってもそうでした。キリスト教会を迫害していたユダヤ教過激派のパウロが、福音の伝道者となったのは、ダマスコ教会のアナニアの存在が大きかったのです。教会の迫害者であり敵とも言える自分に、アナニアは「兄弟」と呼びかけて福音を伝えてくれました。そしてアナニアから洗礼を受けキリスト者となったのです。伝道者となるために導いてくれたのはエルサレム教会のバルナバでした。これらの人々の存在なくして、今の自分はあり得ないのです。
パウロはそのことを「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言うのです。アナニアを通し、バルナバを通し、神の恵みが働き、与えられた。コリント教会の人々にとっては、パウロの存在なくして今の自分たちは考えられません。パウロは神の恵みを受け、そしてパウロを通して今度はコリント教会が神の恵みを受けたのです。「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。…最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」(2-3節)
神の恵みはわたしたちにも与えられます。神は、ある人には父母を、ある人には祖父母を、子どもや孫を、恩師を、友人を通して神の恵みを与えられるのです。罪人をキリストの十字架の犠牲により、ただ一方的な愛によって赦し救う神の恵みをです。今度は、わたしたちを通してあの人に神の恵みが与えられていくのです。 アーメン
(2016年10月号 使徒言行録第15章1-21節 「主の恵みにより救われる」)
最初の教会はユダヤ人の教会でした。しかしイエス・キリストの十字架と復活によってもたらされた神の国の福音(よい知らせ)は、ユダヤ人の壁を突破し、異邦人も宣べ伝えられ、異邦人もその救いにあずかっていったのです。しかしあくまでも教会にとって異邦人キリスト者は例外的な存在でしかありませんでした。
ところがシリア州のアンティオキアに建てられた教会で逆転現象が起こったのです。異邦人キリスト者の方がユダヤ人キリスト者より多い教会が誕生したのでした。そしてこの最初の異邦人教会であるアンティオキア教会は、キプロス島や小アジア地方の町々をはじめ異邦人世界に神の国の福音を宣べ伝え、異邦人のキリスト者が段々増えていったのでした。キリスト教会はユダヤ人も異邦人も共に集う一つキリストの教会となっていったのです。
ユダヤ人と異邦人では考え方が随分違いました。文化や価値観などは別ものだったのです。様々な考えの者により構成される教会が、一つ神を礼拝する群れとして一致して歩んで行くのには、大きな試練の時となったのでした。一部のユダヤ人のキリスト者は自分たちが小さな頃から大切にしてきた割礼を、異邦人のキリスト者も受けるべきだと主張しました。
わたしたちが対立したり、争いになったりすることは、案外どちらでも構わないことである場合が少なくありません。それらのことにより教会は分裂の危機を迎えることさえあると言うのです。わたしたちの歩みが不確かになるのは、実は最も重要なことが不明確になっている時かもしれません。ペトロは言います。
「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」(11節)
ペトロは「主イエスの恵みによって救われる」ことが最も重要なことであること、この一点でキリスト者が一つにされていることを確認したのでした。そうして教会は真実の一致を与えられ歩み出したのでした。 アーメン
(2016年9月号 使徒言行録第13章1〜12節 「神の御心を知った者の一歩」)
わたしたちには大きな決断をし一歩を踏み出さなければならないことがあります。最初の異邦人教会であるアンティオキア教会もそうでした。アンティオキア教会の牧師であったバルナバとサウロ(パウロ)もそうでした。その決断は、聖霊なる神のご意志に従うものでした。
「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』」(2節)
バルナバとサウロ、そしてアンティオキア教会の者たちはこの聖霊のご意志に従うのです。バルナバとサウロはアンティオキアでの充実した牧会・伝道を離れ、どんな成果が待っている分からないキプロス島、ビシティアに向かうことにしたのです。当然、アンティオキア教会の人々にとっても身を切られるような決断でした。アンティオキアの教会にバルナバとサウロが居続けてくれればどれだけ大きな働きをしってくれるでしょう。しかし二人を送り出すことを決断したのでした。これだけの決断をし、一歩を踏み出すことができたのは、神の御心であると知ったからでした。
バルナバとサウロはキプロス島のパフォモスで総督セルギウス・パウルスという人物に出会いました。この人は総督という地位ゆえに、さまざまに決断をしなければならないことがありました。その際、彼は魔術師(=マゴスは占い師、学者と訳せる)エリマに相談することがあったようです。大きな決断に際し、占いに頼ったり、専門家の意見に聞くのは今も似ているかも知れません。手引きして(手を引いて)くれる人(何か)が欲しいものです。セルギウス・パウルスはバルナバとサウロと出会い神の言葉を聞きます。ローマ帝国高官としての立場もあったでしょう。しかし、神の御心を知った彼は一歩踏み出して信仰に入ったのでした。
実は、人間の決断に先立つ神のご決断があるのです。その決意・御心を知るからわたしたちは一歩を踏み出すことができるのです。 アーメン
(2016年8月号 使徒言行録第12章1-25節 「神に栄光を帰す」)
8月は平和を思う季節です。先の世界大戦、その後も続く戦争・紛争・テロにより、神が創造され愛されているこの世界とそこに生きる人々の尊い命が奪われてきました。それはわたしたちの日常の生活における争い・憎しみ・そねみに根があるのかもしれません。わたしたちの罪が平和になるのを妨げているのです。そのようなわたしたちは、この世界に平和をお与えください、互いに愛し合う者としてくださいと神に祈ります。
わたしたちは国と国、人と人との間の平和について考えますが、聖書はもう一つの平和について真剣に考えよと語りかけます。それは神と人との平和です。
使徒言行録第10章から第12章は、キリストの教会が神の国の福音を宣べ伝える歩みを続け、遂に聖書の民であるユダヤ人の壁を突破し、聖書を読んだこともなかった異邦人が悔い改めて神に立ち帰り、洗礼を受けてキリスト者となる出来事が起こったことを伝えています。教会は民族の壁を越えエルサレムからユダヤ、そしてカイサリア、アンティオキアにまで広がっていたのです。ところが、順調に福音伝道が進んでいるかのように思えた教会に、迫害の手が伸びてきました。時の権力者王ヘロデは使徒ヤコブを殺害、更にペトロを投獄、処刑しようとしたのです。「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(5節)。
順調な時にまさってキリスト者は祈ったに違いありません。順調な時も神に感謝し祈っていたでしょう。しかし、順調な時、人はどこか神に寄り頼むのを忘れてしまい、自分の力で何とかやれていると思うのではないでしょうか。そんな時実は神さまとわたしたち人間との間の平和が崩れている時だと聖書は言うのです。教会は迫害の中でかえって神との平和を取り戻すことになったのでした。
神はわたしたちとの平和を求めておられます。そのために人となり十字架について死なれたのです。十字架こそ、神の平和のしるしです。 アーメン
(2016年7月号 使徒言行録第9章10〜32節 「敵が兄弟とされる奇跡」)
イエス・キリストは今も生きて働いておられます。主は今も弟子たちと共に伝道の旅を続けられておられるのです。伝道の旅を続けるイエスさまの一行はガリラヤから始まり一人また一人と弟子を加え、復活のイエスさまはペンテコステの後エルサレム、ガリラヤ、サマリアとその歩みを広げていきました。そして、そこに新たな弟子が加えられました。ユダヤ教過激派、ファリサイ派に属するテロリストであるサウロ(パウロ)でした。
サウロは、イエスを主と仰ぐ者たちをこの世から抹殺したいと考え、大祭司からキリスト者を連行する許可を得て、ダマスコの町に向かいました。すると、天からの光が彼を照らし、天から「サウロ、サウロ」と呼びかける声が聞こえたのでした。イエス・キリストは「敵を愛し、あなたががたを憎む者に親切にしなさい」とお教えになられましたが、ご復活の主イエスさまは愛する弟子たちを迫害するサウロを討ち滅ぼすでなく愛されたのです。そして「サウロ、サウロ」と呼びかけ、洗礼により御自分と一つにし愛する弟子とされ、伝道者パウロに変えてしまわれるのです。
漁師ペトロも、徴税人のレビも、イエスさまが選び召されて一行に加えられましたが、サウロを選び召されたのもキリストご自身だったのです。弟子たちは迫害者サウロが加えられることに大きな戸惑いを覚えました。最初の殉教者ステファノの死刑に賛成したサウロを赦し仲間に加えるなどあり得ないことだったのです。
決して弟子たちが寛容で優しい人たちだからサウロも受け入れられたという話ではありません。イエスさまが選ばれたことだけが理由なのです。これはあり得ないことが起こった奇跡の出来事です。敵サウロが赦され兄弟とされるのです。イエスさまの一行、すなわち教会に新しい一人が加え
(2016年6月号 使徒言行録第8章4〜25節 「お金では買えない神の賜物」)
キリストは今も生きて働いておられます。昔、ガリラヤで神の国の福音を宣べ伝えられた方、病む者をいやし、悪霊に取り憑かれている人を解放し、中風の人・足の不自由な人を立ち上がらせ神の国のしるしを行われた方は、今も生きて働いておられます。
最初の教会はエルサレムの町でキリストが生きて働かれるのを経験しました。キリストは使徒たちを通して神の国の福音を宣べ伝え、神の国のしるを行われたのです。ステファノの殉教を機に、最初の教会は激しい迫害を受け、弟子たちはエルサレムから散らされて行きました。その一人フィリポは逃げ延びてきたサマリアの町でも、キリストが生きて働かれるのを経験したのです。
キリストはフィリポを通して神の国の福音を宣べ伝え、神の国のしるしを行われました。そしてサマリアの人々の中から信じて洗礼を受ける者が起こされたのです。その一人が魔術師シモンです。洗礼を受けたのはフィリポと出会い、いやしや奇跡に驚いたことがきっかけでした。シモンには以前と変わらず腹黒さがあり、神の賜物、聖霊のお力を金で買えるとさえ思っていたのです。ペトロが手を置くと人々に聖霊の賜物が与えられるのを見たシモンは、ペトロのところにお金をもって来て、自分も手を置けば人々に聖霊が与えられるようにしてほしいと言ったのです。ペトロは言いました。「この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。」(22節)シモンは心から罪の赦しを求めました。
キリストは最初フィリポを通し、その後ペトロを通しシモンに働かれました。そのようにしてシモンは一歩一歩信仰を確かにしていったのでした。わたしたちも同じではないでしょうか。救いの確信をよく分からないまま洗礼を受けており、腹黒さを抱えたまま生きていますが、キリストが教会(その枝であるキリスト者)を通して働いて下さり、一歩一歩信仰を確かにしていただくのです。わたしたちはこの町でも、キリストが生きて働かれるのを今経験しているのです。 アーメン
(2016年5月号 使徒言行録第7章51節〜第8章3節 「神の右に立つ主イエス」)
キリスト教会最初の殉教者となったのがステファノでした。ステファノは神の恵みと力に満ちて福音を宣べ伝えました。ある人たちとは議論となったようですが、ステファノが知恵と霊≠ノよって語ったため彼らは歯が立たず、逆恨みとしか言いようがありませんがステファノを捕らえ、遂には偽証人を立てて最高法院に訴えたのです。逆恨みをされたり、事実とは違うことで批判されたら平静ではいられないものでしょう。場合によっては、鬼の形相でにらみ返すかもしれません。「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。」(15節)
聖書は、天使の顔のようであったステファノは、恵みに満ちていたのだと言っています。聖書が語る恵みとは、イエス・キリストの十字架によって罪赦される神の一方的な恵みです。キリスト者が知るのは、今自分があるのは神の恵みであるということです。自分の努力でも、誰かのせいでもなく、神の導きを知るからです。この恵み≠ノ満ちていたのです。それは主語の転換を知っていたということではないでしょうか。「わたしが」でも「あの人が」でもなく、「神が」という主語で考え、語ることができるようになるとすべては変わります。それが信仰というものです。ステファノが見つめていたのは、「わたし」でも「あの人」でもなく「神」です。天を見上げ、神を見ていたのです。暴徒と化した人々は、ステファノが息絶えるまで石を投げ続けました。「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える。』と言った。」(55-56節) ステファノが見たのは神の右で立ち上がるイエス・キリストの姿でした。
日曜日に礼拝に来て、神だけを見上げ、御言葉により神の恵みに満ちる時、わたしたちの顔も天使のようになっているのかもしれません。そして神の国で、顔と顔とを合わせて神を見つめる時、わたしたちの顔は天使と同じになっているでしょう。 アーメン
(2016年4月号 使徒言行録第5章12〜42節 「命の言葉を残らず告げるため」)
使徒言行録はイエスさまの約束により聖霊の注ぎを受けて誕生した、最初の教会の歩みを記しています。聖霊の注ぎを受け教会は、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」でした。この営みは、目には見えなくてもイエスさまが共におられることを弟子たちにはっきりと示すものでした。
使徒たちにとては、ガリラヤでイエスさまと共に伝道していた日々やエルサレムへと旅していた日々と変わりませんでした。目には見えませんが、聖霊によりイエスさまは共におられるのです。使徒たちはただイエスさまに従い力強く福音を宣べ伝え、多くのしるしと不思議なわざをなしました。多くの者がイエス・キリストを信じ洗礼を受け、教会の群れに加わっていきました。その中には孤児ややもめもいたようです。すると、貧しさや困難を抱えている者のためにと、自分の持ち物を売って、そのお金を使ってくださいと献げる者さえ出てきました。
そんな中、アナニアとサフィラの献金偽証事件など、内に問題が生じました。教会は結局人間の集まりでしかないと失望する者も出たことでしょう。外では使徒たちの逮捕など、伝道の妨害、教会の迫害が生じていたのです。牢に入れられた使徒たちは、祭司長たちから脅しを受けます。しかし神は天使を遣わし「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(20節)と使徒たちを励まされたのです。
この先、どうしていったらよいのだろうかと、思わずにはいられない状態に陥るとき、三つの道があると言います。自分の感情や欲望に従う道。知恵あると言われる人の意見や流行の考えに従う道。そしてもう一つは神に従う道です。使徒たちは自分の恐れや不安にも、祭司長たちの意見(脅し)にも従いませんでした。「ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。』」(29節)もし神に従わず、自分の感情や他人の意見に従っていたらどうなったでしょうか。
神は私たちに命に至る道を与えられるのです。 アーメン
(2016年3月号 使徒言行録第2章41〜47節 「救われた者たちの生活」 )
使徒たちを中心としたイエスさまの弟子たちはイエスさまの約束を信じ集まり祈っていました。ペンテコステの日、約束の通り弟子たちに聖霊が注がれ最初の教会が誕生します。使徒ペトロは終わりの日(神の国)の到来を告げるヨエルの預言が実現したのだと、神の国の福音を大胆に説教します。それを聞いた人々は悔い改めて神に立ち帰り、イエス・キリストの御名により洗礼を受けました。その日3000人の人々が弟子たちの群れに加わったのです。誕生したばかりの教会の姿を聖書は次のように記します。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(42節)
ヨエルの預言の実現。終わりの日、神の国が確かに到来した。イエス・キリストの到来により神の国は既に始まっており、教会はそのことを証ししているのです。ある人が、教会は神の国の大使館だと言いました。ドアを開けて大使館に入ると、そこは本国の雰囲気に満ちています。言葉、飾り、食事など本国を思わせるのです。教会は、この地上にあって神の国の先取りとして存在しているのです。教会では神の国、神の支配が始まっています。それは未だ完全な仕方ではありませんが、確かに「使徒たちの教え」によりキリストの御言葉に従い、「相互の交わり」により元々無関係だった者同士が互い助け慰め合い、「パンを裂き」キリストのご臨在のもと神の国の祝宴を指し示す聖餐を祝い、「父よ」と「祈ること」で神との親しい交わりにあずかります。
ペンテコステの日、聖霊の注ぎにより誕生した教会の姿がそこにあります。それは理想的な教会の姿であり、どの時代、どの地域に建つ教会にとっても目標とする教会のビジョンです。しかしまたどの時代、どの地域に建つ教会であれ、それがキリストの教会であるなら、既にこの恵みの現実が確かに起こってもいるのです。これは人間が努力して造り上げるものではありません。聖霊により生み出される営みなのです。
アーメン
(2016年1月号 ヨハネ福音書 第13章34節 「互いに愛し合いなさい」 )
イエスさまは十字架を前に「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれ」(第13章1節)、最後の晩餐の席から立ち上がり弟子たちの足を洗われました。ペトロは申し訳ないと思いそんなことはしないでくださいと言います―洗足は十字架により罪が洗い清められることを示しています―。ペトロはイエスさまのなさることが分かっていません。他の弟子たちも何も分からずに洗ってもらっていたでしょう。それだけではありません。イエスさまは裏切るイスカリオテのユダの足も洗われるのです。
イエスさまは、弟子たちがよく分かっているから愛されるのではありません。弟子たちが従順だから愛されるのでもありません。弟子たちが特別に親しい存在だから愛されるのではないのです―そうでなくても愛されるのですから―。わたしたちの愛がいつでも理由付きの愛であることと、何と違うことでしょう。イエスさまは弟子たちをこの上なく愛し抜かれるのです。
そして弟子たちに言われたのです。
「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(34節)
イエスさまは自らの「愛」をお示しになり「互いに愛し合いなさい」と命じられます。相手が何も分かっていなくても、裏切ることになっても、特別に親しい関係でなくても愛する。上辺でなく心の底から一方的に与え尽くす愛です。人間にできることでしょうか。しかしイエスさまは命じられます。
もしイエスさまに命じられなければ「愛」に一歩踏み出し始めることはないでしょう。御言葉が前に進ませてくれるのです。そこで自らの愛のなさを痛感するでしょう。そうしてイエスさまの完全な愛の偉大さを以前より少しわかるのかもかもしれません。
そんなわたしたちにイエスさまの声が聞こえてきます。「互いに愛し合いなさい」。聖霊のお働きにより、わたしたちはまた一歩「愛」に踏み出していくのです。 アーメン
(2015年12月号 ルカ福音書 第24章39〜49節 「心の目を開いて」 )
ご復活されたイエスさまは、マグダラのマリアにお会いされ、またエマオへ向かう二人の弟子たちとお会いされました。マリアと二人の弟子は、使徒たちに「イエスさまとお会いした」と話しましたが、使徒たちは疑っていました。マリアたちはどんなにわかってほしいと思ったことでしょうか。
人はどのようにしたら信仰を持つのでしょうか。修行を積めば見えるようになるのでしょうか。研究すれば悟ることができるのでしょうか。
ご復活されたイエスさまは、使徒たちに現れてくださいます。イエスさまのほうからです。イエスさまはご自分が亡霊でなく、真実にご復活なさったことをお示しになるため手や足をお見せになられ、弟子たちに差し出された魚をさえ食べられます。それでも使徒たちは信じられずにいました。
「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。」』」
(ルカ45-46節)
イエスさまは使徒たちに<御言葉>を語られます。そして使徒たちの<心の目>を開かれるのです。御言葉により心の目が開かれたのです。使徒たちは聖書に書かれていることが本当であることを悟り、今自分たちが復活されたイエスさまとお会いしていることを認めたのでした。
わたしたちもそうです。聖霊なる神が<御言葉>を語り<心の目>を開いてくださり信じる者とされているのです。復活のイエスさまが、聖霊なる神が、心の目を開いてくださると御言葉は、約束しているのです。
ルカは求道者テオフィロにわかってほしいと思い、この福音書を献呈しました。使徒パウロが「心の目を開いてくださるように」(エフェソ1:18)と祈ったように、パウロの伝道に同行したことがあるルカも祈ったでしょう。「テオフィロの心の目を開いてくださるように」と。わたしたちも祈ります。あの人のために。「心の目を開いてください」と。 アーメン
(2015年11月号 ルカ福音書 第23章34節 「主のとりなしに生きる」 )
イエスさまは十字架の上でとりなし祈られました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(34節) このイエスさまのとりなしの祈りなしに歩むことができるキリスト者は一人もいません。このイエスさまの祈りはわたしたちのための祈りなのです。
イエスさまは他の二人の犯罪人と一緒に十字架につけられました。一人は右に、一人は左に、そしてイエスさまが真ん中の十字架につけられていたのです。イエスさまは罪人の一人に数えられたのです。しかもその中心として数えられたというのです。二千年前、エルサレムの郊外、あのゴルゴダの丘でいったい何が起こっていたのでしょうか。人間が神の御子を罪人として抹殺しようとしたのです。誰も自分が何をしているか分かっていなかったでしょう。
イエスさまは「敵を愛しなさい」「悪口を言う者に祝福を祈りなさい」とお教えになられました。そうお教えになられたお方は、ご自分を十字架につけた者たちのために本当に祈られたのです。十字架の釘を打ち付けたローマの兵士たちのため、不当な判決を下した時の権力者たちのため、イエスさまは心から父なる神に願われたのです。
使徒パウロは「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた」(ローマ5:10)と語りましたが、実はわたしたち罪人が神の敵であったと教えたのです。敵であった わたしたちのためにイエスさまはとりなし祈り、十字架で死なれたのです。自分が神の敵であるとも、イエスさまを十字架につけた罪人の張本人であるとも心底思っているわけでないわたしたちのためにです。それでいてイエスさまの十字架のことが分かっていると思っているわたしたちのためにです。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(34節) イエスさまは十字架の上でとりなし祈られました。このとりなしの祈りなしに歩むことのできるキリスト者は一人もいないのです。 アーメン
(2015年10月号 ルカ福音書 第23章26〜31節 「十字架を背負う主」 )
イエスさまはゴルゴダの丘に向かって、十字架の横木を担いで歩まれました。徹夜の裁判と兵士たちの暴行により衰弱しきっていたイエスさまは、途中で何度も膝をつき、倒れることもあったようです。容赦なく兵士たちの罵声と鞭が飛んだことでしょう。兵士たちは見物していたキレネ人シモンに命令し、十字架を無理に担がせ、イエスさまの後ろから運ばせました。更にイエスさまの後ろから、民衆と嘆き悲しむ婦人たちが従いました。
勝利の行進をしていた時には従っていた十二弟子たちは、十字架の道行きには誰もいませんでした。イエスさまに従うとは、勝利の行進に加わることであり、確かに救いを与えられた喜びの歩みです。しかしイエスさまに最後まで従うとは、十字架の道を歩むことなのです。
キリスト者なら、最後の最後までイエスさまに従って行きたいと願うでしょう。イエスさまは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(9:23)と言われました。そう語りかけてくださるお方は、ご自身の後ろから従ってくる者をいつも思っておられます。今十字架の道を行くイエスさまは、ご自分が一番苦しいにもかかわらず、従ってくる婦人たちのことを心にかけておられます。
「民衆と嘆き悲し む婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。」(27-28節)
自分の十字架を背負って、イエスさまに最後まで従って行こうとする時、わたしたちが経験するのは、振り返り語りかけてくださるイエスさまです。イエスさまは嘆き悲しむ婦人たちに、人間が受けるべき神の裁きについて語られるのです。そしてその裁きをご自身が引き受けるため十字架へと向かわれるのです。十字架の道を先だって進まれるイエスさまがおられます。「わたしが先にいるから大丈夫だ。わたしに従って来なさい。」と語りかけてくださっているのです。 アーメン
(2015年9月号 ルカ福音書 第22章54〜62節 「神の国の価値観」 )
イエスさまは、ガリラヤ湖半で漁師であったペトロに「わたしについて来なさい」と言われ、ご自分の弟子としてお召しになられました。それ以来、ペトロは従い、寄り添うようにしてイエスさまについて来ていました。イエスさまは、いつも弟子たちがちゃんとついて来ているか、気遣っておられたと思います。
受難の時が来ます。ゲツセマネの園でイエスさまが逮捕されるのです。いつもついて来ていた弟子たちは、イエスさまを見捨てて逃げていきます。逮捕されたイエスさまの心には、しかしご自分の身がどうなるかではなく、いつも後ろからついて来ていた弟子たちを案じる思いがあったことでしょう。
そんな中、ペトロは遠く離れて従い、イエスさまを追って大祭司邸の庭に紛れ込みました。たき火にあたっていたペトロを、女中がじっと見つめて言います。「この人もイエスと一緒にいた」。ペトロは「わたしはその人を知らない」と打ち消します。そんなことが三度も繰り返された時、数時間前にイエスさまがおっしゃっていた通り、鶏が鳴いたのです。
「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。」(61節)
ペトロがイエスさまとの関係を否定したのは、イエスさまに従って行こうとしていたその時でした。私たちはイエスさまに一生懸命ついて行こうとします。していないのではなりません。自分なりにですが、ついて行こうとしているのです。しかし、そこでキリストに従いきれない罪があらわになるのです。そして罪の中で知るのは、主の眼差しです。主の御言葉です。キリスト者が罪を犯す時、思い出すのはイエスさまの十字架なのです。
イエスさまは知っておられたのです。その上で、ペトロに「わたしについて来なさい」と言われたのでした。イエスさまは赦しの眼差しで私たちを見つめておられます。そして私たちのことをご存知の上で、「わたしについて来なさい」と言われるのです。 アーメン
(2015年8月号 ルカ福音書 第22章1〜23節 「神の国の食卓の約束」 )
イエスさまは愛する弟子たちとどうしてもこれだけはしておきたいと思われたことがありました。
「イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』」(15-16節)
十字架につけられる前の晩、イエスさまは望みに望み、切に願われ愛する弟子たちと過越しの食事、すなわち主の晩餐(聖餐)をなさったのでした。
イエスさまはこの過越の食事の席に裏切ることが分かっているイスカリオテのユダも座らせました。初めからこの食卓に加えないこともできたはずです。イエスさまは主を否むことになるペトロも座らせました。イエスさまは、裏切る弟子たちを最後まで愛する弟子として扱われ、信頼することをお止めにならなかったのです。そのことを弟子たちは分かっていたでしょうか。
イエスさまの全生涯がこの愛する弟子たちとの過越の食事のためにあったと言うことができます。神の御子が人となりマリアより生まれたことも、神の国の福音を宣べ伝え人々を招かれことも、そして十字架で死なれることも、ご復活も、このことのためにあったと言ってよいのです。エルサレムにある家の二階の広間で弟子たちと食卓を囲みながら、イエスさまは神の国の過越、神の国での祝宴の姿を見ておられます。この愛する弟子たちが神の国の食卓に座っておられる姿をです。主の晩餐はイエスさまの到来によりすでに始まっている神の国の実現であり、将来全き仕方で到来し完成する神の国の先取りなのです。イエスさまが望まれたのは、神の国の過越の食卓に愛する弟子たち、ペトロも、ユダも座っていることだったのではないでしょうか。そして私たちが座っていることを望まれたのです。聖餐にあずかりながらも、何度もイエスさまを裏切り、イエスさまに従いきれない私たちがです。聖餐にあずかる時、イエスさまのこの信頼を受け取ることになるのです。
神の国の食卓に着く日、地上を振り返った時、私たちは本当の意味で主の信頼がどれほど大きなものだったかを知ることになるのではないでしょうか。 アーメン
(2015年7月号 ルカ福音書 第22章24〜30節 「神の国の価値観」 )
イエスさまは神の国の福音を宣べ伝える中で、「わたしに従いなさい」と言われ弟子たちを召されました。その弟子たちを、イエスさまは十字架を前に最後の晩餐の席に着けられました。イエスさまはたらいに水をくんで、弟子たちの足を洗われ―それは当時家事奴隷がすることでした―ました。イエスさまは「仕える者」となられたのです。更にパンを裂いて弟子たちに渡し、杯をまわし聖餐を制定され、ご自身の十字架を示されました。イエスさまは十字架で私たちの身代わり死なれるほどに、私たちに仕えてくださるのです。
厳粛な時を過ごしまだそんなに時間が経っていない頃、弟子たちは自分たちの中でだれがいちばん偉いかの議論を始めます。そんな弟子たちに、イエスさまは「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」(26節)と言われました。「仕える者」とはイエスさまのことです。仕える者になることは、「わたしに従いなさい」との呼びかけられたお方に従い、イエスさまに倣うことです。
人はどうして偉くなりたいのでしょう。一番に、立派に、尊敬を・・・・。残念ながら教会の中でも誰が偉いのか論争が起こります。「自分の方があの人より立派な信仰だ」と。立派でなければキリスト者として失格なのでしょうか。自分の立派さにより、人からの評価によりキリスト者として立とうとするところに罪があり、不安や妬みの支配があるのです。そんな者たちに、イエスさまは「いちばん偉くなくても大丈夫だよ」と言われるのです。「あなたがたは、わたしの国でわたしの食事を席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」(30節)
神の国の王座に座るのは誰か。一番偉い者ではありません。イエス・キリストの十字架による罪の赦しにより神の子とされる者です。偉くなる必要はありません。主が仕えられたように、誰にも威張ることなく仕えて生きるだけでよいのです。 アーメン
(2015年6月号 使徒言行録 第2章1〜21節 「神が見せてくださる幻」 )
ペンテコステに教会は誕生し、世界伝道が開始しました。それは復活のイエスさまの約束の実現であり、旧約の預言の成就でした。
イエスさまは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(第1章8節)と約束されました。イエスさまが約束を与え、世界伝道の幻(ビジョン)を与えられたのは、あの弟子たちです。十字架を前にイエスさまを見捨てて逃げた弟子たちです。いわゆる教養人や権力者ではなく元漁師や元徴税人、ガリラヤ出身の者たちでした。当時の公用語ギリシャ語を流ちょうに話せる者もいなかったでしょう。もし弟子たちの方から、全世界に出て行くと言えば、たわ言と一蹴されるだけでした。しかし復活のイエスさまが約束されたのでした。
ペンテコステの日、ヨエルの預言が成就し、弟子たちに神の霊が注がれ、弟子たちは伝道の幻を見たのです。「『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。・・・・主の名を呼び求める者は皆、救われる。』」(17,21節)生粋のユダヤ人であった弟子たちにとって、あの汚れた異邦人が主の名を呼び求めることなど誰が想像できたでしょう。主の名を呼ぶはずのないと思っていたあの人々が、信じて主の名を呼ぶ者になる幻(ビジョン)が与えられたのです。
パウロはマケドニア人の幻を見てヨーロッパに渡りました。200年前の欧米のキリスト者たちは、地の果て日本で主の名を呼ぶ者が起こされる幻を見て海を越えてやって来たのです。110年前ウオータス宣教師は、呉の町で主の名を呼ぶ者たちの群れ=教会が建てられる幻を見て、私たちの教会が誕生しました。19年前、呉に遣わされて来た私は、御言葉による生き生きとした教会の幻を見ました。私たちは、今はまだ信じていない友人、快く思っていない家族が、主の名を呼ぶ幻を見るのです。あのペンテコステの日以来、神が見せてくださる伝道の幻によって教会は前進してきたのです。
アーメン
(2015年5月号 ルカ福音書 第19章1〜10節 「今日、救いがこの家に訪れた」 )
イエスさまはエルサレムに向かって旅をしておられました。十字架と復活へと向かう旅です。その旅の最後に、イエスさまはエリコの町に入られました。この町に徴税人の頭で金持ちのザアカイという人がいました。ローマ帝国の手先となって人々から税金を巻き上げる徴税人は神から最も遠い存在と見なされていました。またイエスさまは、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」(18:25)と言われましたが、ザアカイは徴税人でかつ金持ちだったのです。救われるはずのない人の代表だと言ってよいでしょう。
そんなザアカイもエリコの町に入って来られたイエスさまを一目でいいから見てみたいと思ったようです。決してお会いしようとまでは思わなかった。自分の方から救いを求めてイエスさまに叫んだわけでもありませんでした。「救い主」、それは自分とは関係のない方だと思っていたでしょう。あくまで見物です。しかし群衆に遮られて見ることができず、先回りをしていちじく桑の木に登り、そこを通り過ぎようとするイエスさまを見物していたのです。すると、思いかけないことが起こりました。イエスさまの方からザアカイに呼びかけられたのです。「ザアカイ、急いで降りて来なさい」。
見物人としてではなく、イエスさまに呼ばれ、イエスさまにお応えする交わりへと招き入れられたのです。ザアカイは家にイエスさまを迎えました。「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」(9-10節)
この一人の見失われていたアブラハムの子を捜すために、救い主はやって来られたのでした。イエスさまは今も、神のみ許から失われている者たちを捜しておられます。私たちを、神のもとへと連れ帰るために、イエスさまは聖書を通し、またキリストのみ体なる教会を用いて、私たちの名を呼んでおられるのです。イエスさまにお応えする交わりへと招き入れるため。アーメン
(2015年4月号 ヨハネ福音書 第20章11〜18節 「復活の主を見る喜び」 )
イエス・キリストは十字架で死んだ後、三日目に墓から出てこられました。そして弟子たちにお会いになられたのです。深い悲しみに涙していた者に喜びが、恐れと不安におののいていた者に平安が与えらました。それが最初のイースター/復活祭です。
週の初めの日、マグダラのマリアは朝早く、まだ暗いうちにイエスさまの墓に向かいました。金曜日の夕方、安息日が迫っていたため慌てて墓に安置されたイエスさまのお体をできる限りきれいにしてさしあげたいと思ってです。ところが墓に行くと中は空でした。イエスさまの体がどこにも見当たらず、マリアは墓の前で泣いていたのです。
マリアは悲惨な人生でしたが、イエスさまに七つの悪霊を追い出してもらい、罪赦され人生が変わった人でした。新しくされた人生はイエスさまに従うものでした。イエスさまに従うことが生き甲斐になっていたでしょう。ところが十字架により、その生き甲斐を失ってしまいました。そんなマリアに残されたのは、イエスさまのご遺体を丁寧に葬り直し、弔いに生きることだったでしょう。しかしそれさえも奪われてしまったのです。マリアは墓の前でただただ涙する以外ありませんでした。
マリアは墓の中にイエスさまを捜しました。しかし過去の人物としてどんなに捜してもイエスさまとお会いすることはできないのです。過去の人物として、その思想や教え、生き方を学び、理解することが信仰ではないのです。イエスさまはマリアの名を呼ばれます。「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」(16節)イエスさまは復活されたのです。生ける主は過去の人物ではなく、今私たちに語りかけ、私たちに出会ってくださるお方です。主に呼ばれ、主の名を呼ぶという、生ける主との交わりが信仰なのです。死を打ち破り、永遠の命の光を与えられる主を見たとき、マリアの悲しみは喜びに変えられたのです。そこに信仰があるのです。 アーメン
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